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天然だけど頭がいい女性。そのギャップは、あなたの思い込みが作っている

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会議中、ずっとぽわんと座っていた彼女が、ふいに口を開く。えっと、この企画のここ、なんか違う気がするんですけど。ふわっとした言い方なのに、それが、全員が薄々感じていた急所を、まっすぐ突いている。一瞬、場が静まる。そして、みんなが思う。あれ、この人、天然だと思ってたのに、と。

天然だけど頭がいい女性、ふわふわして見えるのに、核心では鋭い。そのギャップに、驚き、惹かれる。でも、先に言ってしまうと、その驚きの多くは、彼女が特別に矛盾しているからではない。あなたが、賢さというものを、少し思い込みで見ているから、生まれている。

目次

天然と頭の良さは、別々の二つではない

まず、いちばんの誤解を、ほどきたい。天然だけど頭がいい、という言い方は、天然と頭の良さを、対立する二つの性質として並べている。ふわふわ、なのに、鋭い。ゆるい、のに、賢い。

でも、多くの場合、その二つは、別々のものではない。同じ一つのものを、二方向から見ているだけだ。彼女は、頭の良さを、賢く見せるための装いなしで、そのまま出している。私たちは、賢さは、賢そうな見た目とセットで売られている、と思い込んでいる。だから、その見た目だけが外れていると、中身まで外れていると勘違いする。彼女の賢さは、いわば別売りなのだ。セットになっていないから、賢さが、そこにないように見えてしまう。

私たちは、賢さと賢そうな見た目を混同している

考えてみると、私たちが賢さに期待している見た目は、けっこう決まっている。少し身構えていて、難しい言葉を使い、何でも知っているような顔をして、初歩的な質問は絶対にしない。

でも、それは、賢さそのものではなく、賢く見せるための演出だ。頭のいい人の中には、実は、自分がどれだけ賢く見えるかの管理に、多くのエネルギーを使っている人が多い。知ったかぶりをし、分かっているふりをし、バカだと思われないように、素朴な疑問を飲み込む。天然だけど頭いい、と言われる女性は、単に、その演出を、していないだけだ。賢そうに振る舞う芝居を省いている。それが、天然、と映る。中身を省いているのではなく、外側の芝居を省いている。

一番大事な質問を、平気で口にできる

この、演出をしない、というのは、実は、とんでもない強みになる。

このキャッチコピー、もっと柔らかくしたほうが響くと思います。この企画、なんか違う気がする。こういう発言は、天然っぽく、感覚的に聞こえる。でも、しばしば、その場でいちばん鋭い指摘だったりする。なぜなら、彼女は、自分がどれだけ賢く聞こえるか、を追っていないからだ。追っているのは、これは本当に機能するか、しっくりくるか、という、ことの本質のほうだ。みんなが、バカだと思われたくなくて飲み込む素朴な質問を、彼女は平気で口にする。そして、その素朴な質問が、たいてい、いちばん大事な質問なのだ。賢く見られることに興味のない好奇心は、それ自体が、一つの才能になる。

天然さと賢さは、同じ根から育つことがある

なぜ、この二つが同じ人に宿るのか。育ちを聞くと、偶然ではないことが見えてくる。

天然だけど頭いい、と言われる人には、子どもの頃、どうして、なぜ、と問い続けていた、という人が多い。なぜ、を手放さない人は、何でも知っているふりができない。だから、いくつになっても、素朴に問う。それが、天然、に見える。同時に、問い続けた末に、深く知っている。素朴に問い続ける姿勢と、深い知識は、同じ、なぜ、から生えている。あるいは、幼い頃、バカだと思われて育ち、孤独の中で本を読み込んだ、という人もいる。低く見られたぶん、賢く見せる術を身につけそびれ、代わりに、中身のほうを、静かに育てた。つまり、天然の柔らかさと、内側の賢さは、二つの偶然が重なったのではなく、一つの道が、両方を作った、ということが、けっこうある。

ただし、天然に見られるのは、けっこう損でもある

ここは、正直に書いておきたい。天然だけど頭いい、は、周りから見ると、微笑ましくて、愛される。でも、当の本人にとっては、いいことばかりではない。

天然、と読まれるということは、最初から、実力を低く見積もられる、ということでもある。いい提案をしても、最初は軽く受け取られる。何度も、実は、できる、を証明し直さないといけない。手柄が、別の誰かのものとして扱われることもある。実は賢いんだ、と気づいてもらえるのは、たいてい、可愛いだけ、とか、バカだと思われた、あとだ。この、あとで見直される、という順番は、地味に消耗する。天然さは、可愛い個性であると同時に、自分の賢さが、相手の驚きの後ろに、いちいち後回しにされる、という税金でもある。ここは、魅力の話だけで、片づけないほうがいい。

実は賢くてびっくり、は、少し失礼だ

もし、あなたが、そういう女性を、知っていたり、付き合っていたりするなら。最初は可愛いだけかと思ってた、実は賢くてびっくりした。この、びっくり、について、一度考えてみてほしい。

その驚きは、彼女がすごいという話に見えて、実は、あなたが、彼女は賢くないだろう、と勝手に見積もっていた、という告白でもある。びっくりする、ということは、期待していなかった、ということだ。だから、いちばん誠実な向き合い方は、彼女の賢さに驚くことではなく、驚かなくなることだ。その賢さは、あなたが気づいたときに現れたのではなく、最初から、ずっとそこにあった。あなたが、見た目という包みを、中身だと読み違えていた、というだけなのだから。

演じる天然と、本物は、違う

一つ、断っておきたい。ここまで書いてきたのは、自然体の、本物の天然の話だ。世の中には、天然を演じる人もいる。可愛く見られるため、脅威に思われないために、わざと抜けたふりをする、計算された天然だ。

これは、まったく別のものだ。本物の天然だけど頭いい、は、演出の不在だ。賢く見せる芝居を、していない。一方、演じる天然は、賢くない芝居を、している。方向が、正反対だ。そして、余計なお世話かもしれないが、賢くないふりを続けるのは、それ自体が罠でもある。演じ続けると、周りは、本気で、あなたを低く見積もるようになる。抜けたふりは、いつか、本当に抜けている、として扱われる。本物の強みは、演じないことのほうにある。

衣装を着ていない賢さを、賢くないと読まないこと

天然だけど頭がいい、というギャップは、あなたが、賢さは賢そうな見た目とセットのはずだ、という思い込みを手放した瞬間に、すっと消える。ギャップは、彼女の中にあったのではなく、こちらの期待の中に、あっただけだ。

もし、あなた自身が、そう言われる側なら。賢く見せる衣装を、無理に着る必要はない。素朴に問い、感じたことをそのまま言う、その天然さは、あなたの賢さの邪魔をしているのではなく、その一部だ。ただ、低く見積もられる税金のほうは、確かにある。だから、覚えておいてほしい。周りが驚こうが驚くまいが、あなたの中身は、最初から、ちゃんとそこにある。誰かがそれに、あとから気づくかどうかは、あなたの賢さの、証明でも否定でもない。

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