朝、鏡を見たら、首筋に、赤いあとが残っている。あ、ついちゃった、と笑うと、彼が、少し照れながら言う。俺のものだって印だよ、と。言われた瞬間、悪い気はしない。むしろ、そんなに想われているのか、と、うれしくなる。首筋にキスをして、キスマークまで付ける。この行為は、たしかに、甘くて、情熱的だ。
ただ、その、俺のもの、という一言は、実は、けっこう、いろいろなものを、抱え込んでいる。首筋にキスマークを付ける心理を知りたい、と思ったとき、たいていの説明は、それを、まとめて、愛、と呼ぶ。でも、そこには、性質のまったく違う二つのものが、混ざっている。そこを分けて見ると、この行為の、本当のところが、見えてくる。
なぜ、よりによって首筋なのか
まず、なぜ首筋なのか、から。ここには、ちゃんと理由がある。首筋は、体の中でも、無防備で、敏感な場所だ。太い血管が近くを通り、神経も多い。だから、そこに触れさせる、というのは、相手を、深く信頼している、ということでもある。そして、触れられる側にとっても、ぞくっとするような、感覚が生まれる。
だから、首筋へのキスには、いくつもの気持ちが乗りうる。強い欲情。守りたい、というような、いとおしさ。相手の反応を見たい、という甘えや遊び心。言葉ではなく、体で、想いを伝えたい、という衝動。長年の夫婦なら、薄れていた情熱を、もう一度、という再燃。ここまでは、素直に、あたたかい。キスマークが残るのは、その気持ちが、抑えきれずにあふれた、しるしでもある。ここに関しては、うれしい、と感じて、なんの問題もない。
所有欲は、二つの違うものを含んでいる
問題は、多くの説明が、この行為の心理を、所有欲、独占欲、の一言で片づけて、それを、そのまま、愛だ、としてしまうところにある。所有欲、という同じ言葉の中に、実は、正反対の、二つのものが入っている。
二人だけの合図としての、しるし
一つ目は、二人で分かち合う、じゃれ合いのような独占だ。あなたが彼のものであると同時に、彼も、あなたのもの。俺のもの、という言葉が、対等に、行ったり来たりしている。しるしは、二人だけの、内緒の合図で、あなた自身も、それを、うれしいと思い、望んでいる。これは、健全で、いいものだ。それほど強く求められることは、単純に、気持ちがいい。対等な二人が、じゃれ合いとして交わす独占は、情熱の、ごく自然な一部だ。ここを、恥じたり、疑ったりする必要は、まったくない。
他人に向けた、縄張りの札としての、しるし
二つ目が、少し、話が違う。他人に向けて、これは俺のもの、と示すための独占だ。目立つ場所に、わざと、あとを残す。狙いは、あなたとの間で分かち合うことではなく、周りの、とくに他の男に、こいつは俺のものだ、と、見せることにある。このとき、しるしは、二人だけの合図ではなく、あなたの体に立てられた、縄張りの札になる。そして、その札を立てるとき、あなたが、その目立つあとを、本当に付けてほしいと思っているかは、あまり、考慮されていない。この、他人に向いた独占は、いとおしさとは、別のものだ。それが強くなっていくと、しるしは、愛情表現ではなく、囲い込みや、支配のほうへ、近づいていく。
見分ける鍵は、そのしるしが、誰のためにあるか
では、その二つを、どう見分けるのか。鍵は、一つだ。そのしるしが、誰の安心のために、あるか。
二人で楽しんでいるなら、それは、あなたも望んだ、共有の喜びだ。でも、もし、そのあとが、主に、彼が安心するために付けられているとしたら。彼が、自分のものだと確かめたくて、あるいは、他の男を牽制したくて、あなたの体に、目立つしるしを残しているのだとしたら。そして、そのぶんの面倒を、あなたが、一人で引き受けているのだとしたら。それは、少し、向きが、おかしい。愛のしるしのはずのものが、実は、彼の不安を鎮めるための、道具になっている。誰が、そのしるしを、必要としているか。そこを見ると、じゃれ合いと、囲い込みの、境目が、見えてくる。
首のキスマークは、あなたの月曜日でもある
もう一つ、甘い説明が、まったく触れないことがある。首のキスマークは、人目につく、ということだ。
首は、隠しにくい。だから、そこに残ったあとは、翌朝からのあなたの生活に、そのまま出てくる。職場で、気づかれるかもしれない。家族の前で、気まずいかもしれない。初対面の人に、あらぬ印象を与えるかもしれない。ファンデーションで隠しながら、一日を過ごすことに、なるかもしれない。情熱は、すてきなものだ。でも、情熱は、あなたの体に、あなたの都合を飛び越えて、しるしを残していい、という免罪符では、ない。だから、見える場所に、あとを残すかどうか、どこに残すかは、本当は、その体の持ち主である、あなたの、月曜日のことも込みで、決められるべきなのだ。愛のある相手なら、そこを、ちゃんと気にかける。
嫌がってないから、は同意ではない
同意についても、一言。よくある注意書きは、相手が不快そうなら、強引にならないように、で終わる。でも、その基準は、少し、低い。
嫌がっていないこと、と、望んでいること、は、違う。あなたが、はっきりと、それを望んでいて、二人の、いつものことになっている。そこまであって、はじめて、気持ちよく交わせる、しるしになる。驚いているうちに、いつのまにか付けられていた、というのは、あなたが、その場で笑ったとしても、望んでいた、とは限らない。もちろん、幸せに楽しんでいる二人の行為を、いちいち、これは同意か、と疑う必要はない。ただ、基準は、嫌がっていないから、ではなく、二人が、ちゃんと、望んでいるか、のほうに、置いておきたい。
それを、うれしいと感じる、あなたへ
もし、あなたが、首筋のキスマークを、うれしい、と感じているなら。その気持ちは、否定しなくていい。それは、たいていの場合、彼の情熱や、いとおしさの、まっすぐな表れだ。強く想われている、という実感は、それだけで、心を満たす。
ただ、一つだけ、覚えておいてほしい。この行為の意味は、彼の心の中だけに、あるのではない。あなたが、それをどう感じるかも、同じくらい、意味の一部だ。もし、いつか、それが、あなたと分かち合う喜び、というより、他人に見せるための札のように感じられたら。あるいは、その目立つあとを、本当は付けてほしくないのに、それが、尊重されないと感じたら。そのときは、その違和感を、見逃さないでいい。それは、わがままではなく、あなたの体と、あなたの気持ちが、ちゃんと、そこにある、という証拠だ。
同じしるしが、愛にも、囲いにもなる
首筋にキスをして、キスマークを付ける、という行為そのものは、良くも悪くもない。同じ赤いあとが、二人で分かち合う、愛のしるしにもなれば、あなたを囲い込むための、札にもなる。違いは、その行為にあるのではなく、それが、二人のものか、他人に向けたものか、そして、あなたの気持ちが、そこに入っているか、にある。
甘く想われて、うれしい、という気持ちは、本物だ。心ゆくまで、味わっていい。ただ、その首筋は、彼のものである前に、あなたのものだ。しるしを付けるかどうかも、それを、うれしいと感じるかどうかも、最後に決めるのは、あなたのほうでいい。愛のしるしは、そうやって、あなたの手のひらに、主導権があるときにこそ、いちばん、甘くなる。
