満月だから星を見にいかないか、と深夜に誘われる。会話の途中で、人間の感情なんて動物の本能の延長だよね、と真顔で言われる。デートの予定をぜんぶ放り出して、急に寂しくなったからと部屋に連れていかれる。そういう相手と何ヶ月か過ごしたあとに別れると、なぜか他の誰と会っても物足りなくなる。
忘れたいのに忘れられないあの人のことを、どう説明していいか分からないからだ。先に言ってしまうと、あなたを掴んで離さなかったのは、彼女の色気でも美しさでもない。もっと厄介で、もっと地味な何かだ。
魔性の正体は、色気ではなく読めなさ
魔性の女と聞くと、妖艶でミステリアスな見た目を想像する。でも実際に人を沼に引きずり込むのは、顔やスタイルではない。次に何をするか読めない、という一点だ。
人は、脚本どおりの相手に飽きる
ほとんどの恋愛は、見えない脚本に沿って進む。このタイミングで連絡が来て、こういう店に誘われて、こう返したらこう返ってくる。安心できる代わりに、刺激はだんだん薄れていく。脳は、先が読める情報にはあまり反応しなくなるようにできているからだ。
変わってる女は、その脚本を平気で無視する。裏メニューだけ頼むと言い出して店員を困らせる。休みの日に突然、旅行に行こうと連絡してくる。喧嘩した翌日に、長い手紙を渡してくる。一つひとつは小さなことなのに、こちらの予想がことごとく裏切られる。そのたびに、止まりかけていた心拍がまた跳ねる。
次が読めない相手から、目が離せなくなる
ここに、ちょっと厄介な仕組みがある。人は、いつ来るか分からない報酬に、いちばん強く引きつけられる。毎回かならず当たるスロットには誰も夢中にならないが、たまにしか当たらないスロットからは手が離せなくなる。あれと同じことが、相手の言動で起きている。
情熱的に距離を詰めてきたかと思えば、翌日には連絡がぱたりと途絶える。読めないから、こちらは次の一手を待ち続ける。その待っている時間ごと、相手のことを考えてしまう。魔性というのは、たぶんこの状態に名前をつけただけのものだ。彼女が特別な術を使っているわけではなく、あなたの脳が、読めなさにいちばん弱いだけのことだ。
引き込まれる力と、振り回される疲れは、同じものだ
ここがこの話のいちばん大事なところだと思っている。多くの人が、あの魅力だけ欲しい、振り回されるのは勘弁してほしい、と願う。けれど、その二つは切り離せない。
情熱と音信不通は、セットでやってくる
驚くほど積極的に迫ってきたのに、次の日には急に消える。全部の責任は私が取ると大胆に庇ってくれた直後に、こちらの予定を平気で崩してくる。この振れ幅こそが、あなたを離さない当のものだ。
つまり、あなたを夢中にさせた予測不能さと、あなたを疲れさせた予測不能さは、まったく同じ性質から出ている。刺激だけ抜き出して、不安定さだけ捨てる、という都合のいい話は成立しない。火が美しいのは熱いからで、熱くない火はそもそも燃えていない。
普通にしてほしいと願った時点で、魅力は死ぬ
だから、変わってるところを直してくれたら完璧なのに、という願いは、自分で自分の好きになった理由を消しにいく行為になる。当の女性たちも、そこに気づいている。無理に普通を演じると、自分の魅力が消える気がする、と。彼女を予測のつく相手に作り替えられたとして、そのとき残っているのは、もうあなたが惹かれた人ではない。
あなたが恋したのは、彼女の謎ではなく、自分の分からなさかもしれない
少し角度を変える。
相手が脚本どおりに動かないと、人はその空白を勝手に意味で埋める。きっと深い考えがあるんだ、ミステリアスだ、これが魔性だ、と。猫の転生かもしれないと真顔で言われ、道端の石にいいエネルギーがあると話されると、理解できないぶん、こちらは余計に物語を盛っていく。
そこで起きているのは、彼女という人間への恋というより、彼女を読み解けない自分の状態への執着に近い。謎は、相手の中にあるのではなく、あなたの理解が追いつかない部分に立ちのぼっている。だから言っておきたい。彼女は、計算してあなたを弄んだわけではないことが多い。あなたが、読めない相手を前にして、勝手に翻弄されただけだ。これは悪口ではなく、むしろ彼女の名誉のための話だ。
当の本人は、たぶん計算していない
魔性の女と呼ばれる側の声を並べていくと、共通しているのは、自分でもコントロールしにくい、という感覚だ。
彼女たちの多くは、誰かを落とすために変わった振る舞いをしているわけではない。占いの話をするのも、深夜に詩を読み上げるのも、創作を恋愛より優先してしまうのも、ただそういう人だから、というだけだ。その素のままの自由さが、誰の承認も求めていないように見えて、まわりを引きつける。人は、自分の評価を必要としていない相手に、なぜか惹かれてしまう。
ただし、その同じ自由さが、相手を不安にもさせる。深い関係になると自分のペースを崩したくない人に、安定した毎日を期待するのは難しい。つかめないから去っていく、という別れを、彼女たちは何度も経験している。これは直すべき欠点ではなく、魅力と表裏一体の性質だ。だから一人で生きる道を選ぶ人もいる。それは逃げではなく、自分を失わないための選択だったりする。
他の子じゃ物足りない、の正体
別れたあとに残るのが、この感覚だ。他の女性と会っても、どこか味気なく感じてしまう。
これは、相手が他の誰より優れていたからではない。あなたの刺激の基準が、彼女によって引き上げられてしまったからだ。読めない相手に慣れた目には、脚本どおりに進む穏やかな関係が、平坦に映る。色のついた世界をいちど見たあとで、普通の景色が灰色がかって感じられる、あの状態に近い。物足りないのは相手のせいではなく、あなたの目盛りがずれたまま戻っていないということだ。
で、結局どうすればいいのか
答えは、たぶんあなたが薄々わかっている。
刺激と安定は、両極では同時に手に入らない。だから、自分が本当に欲しいのはどちらなのかを、いちど正直に決めるしかない。毎日が予測不能で面白い代わりに落ち着かない暮らしか、刺激は減っても穏やかに続く関係か。元カノの魔性を懐かしみながら、結局は穏やかな愛情のほうを選んだ、という人は少なくない。どちらが正解ということではなく、両取りはできない、というだけだ。
そしてもし関わり続けるなら、彼女を普通に矯正しようとするのはやめたほうがいい。それは、自分が惚れた部分を自分の手で壊す作業になる。変えるのではなく、その振れ幅ごと面白がれるかどうか。そこを面白がれる人だけが、変わってる相手と長く一緒にいられる。実際、その変わった感性のおかげで毎日が退屈しない、と笑っている既婚者もいる。向き不向きが、はっきり出る相手なのだ。
あの不安定さを、たぶんあなたは少し惜しんでいる
別れて正解だった、と頭では思っていても、夜にふと、あの独特の笑顔を思い出す。普通の相手との穏やかな時間に感謝しながら、心のどこかで、あの落ち着かない日々を懐かしんでいる自分がいる。
それでいいんだと思う。惜しんでいるのは彼女そのものというより、世界が色づいて見えていたあの感覚のほうだ。だとしたら、これからの宿題はひとつ。次の刺激を誰かの不安定さに頼らず、自分の側で世界に色をつけられるようになること。そこに気づけたとき、魔性の女の記憶は、振り回された苦い思い出ではなく、自分の感じ方を一段引き上げてくれた出来事に変わる。
