軽く唇を合わせていたキスが、少し長くなる。どちらからともなく、深くなっていって、舌が、そっと触れる。ドキッとして、でも、体が、自然と応える。キスで舌を入れる、という行為には、確かに、強い感情が乗っている。情熱、信頼、相手をもっと近くに感じたいという欲求。
ただ、この、舌を入れる、という言い方には、少し、落とし穴がある。まるで、片方が、もう片方に、何かをする行為のように聞こえる。でも、キスで舌を入れる心理を、そう捉えると、いちばん大事なところを、取りこぼす。ディープキスは、片方がするものではない。二人で、するものだ。そして、それは、言葉のない、その場かぎりの、小さな会話なのだ。
舌を入れる、という言い方が、見落とさせるもの
まず、言葉の問題から。舌を入れる、と言うと、彼が入れて、彼女が反応する、という、一方通行の絵が浮かぶ。体験談も、たいてい、そう描いている。突然、舌が入ってきて、驚いたけど、うれしかった、と。
でも、実際のディープキスは、この世でいちばん、一方通行にならない行為の一つだ。考えてみてほしい。キスしていない相手に、ディープキスは、できない。相手が、口を開き、舌で応え、身を寄せてくれて、はじめて、それは、キスになる。片方が、舌を突き出しても、相手が応えなければ、それは、キスではなく、ただ、押しつけられた何か、でしかない。つまり、舌を入れる、という行為は、単独では、成立しない。相手の参加が、絶対に、要る。だから、なぜ舌を入れるのか、という問いは、本当は、なぜ二人が、表面から深いところへ、一緒に進むのか、という問いなのだ。
ディープキスは、言葉のない、その場の会話だ
では、その、二人で進む、というのは、どういうことか。ディープキスは、実は、言葉を使わない、問いと答えの、やり取りでできている。
最初に、舌が、軽く触れる。あれは、命令ではなく、問いかけだ。ここまで、行っていい。もっと、近づいて、いい。そういう、無言の問いだ。そして、その答えは、相手の体に、出る。応えて、身を寄せてくれば、それは、うん、という返事だ。逆に、体がこわばったり、少し引いたりすれば、それは、今は、ちがう、という返事だ。ディープキスとは、この、問いと、答えを、一瞬ごとに、交わし続ける、対話なのだ。だから、これは、技術の話ではない。
うまいキスは、技術ではなく、聴く力だ
キスがうまい人、というのは、舌の動かし方が巧みな人のこと、ではない。相手の体が返してくる、その答えを、リアルタイムで、聴けている人のことだ。相手が、もっと、と言っているのか、ちょっと待って、と言っているのか。それを、感じ取って、合わせられる。うまいキスの正体は、うまく動かすことではなく、よく聴くこと、のほうにある。
だから、同意は、この行為に、もともと組み込まれている
ここが、大事なところだ。多くの説明は、最後に、とってつけたように、同意が大切、強引はだめ、と書く。でも、ディープキスにおいて、同意は、あとから足す注意書きではない。この行為の、仕組みそのものに、最初から、組み込まれている。舌が触れて、相手が応える。その、応え、こそが、同意だ。だから、相手の体が、まだ、と言っているのに、それを聴かずに、押し通した瞬間、ディープキスは、対話であることをやめて、一方的な押しつけに、変わる。悪いのは、深いキスをしたこと、ではない。相手の返事を、聴かなかったこと、だ。
深さが伝えているのは、欲求と、明け渡しだ
では、その深いキスが、表面のキスと違って、伝えているものは、何なのか。二つ、ある。一つは、欲求だ。礼儀正しい、軽いキスでは足りない、もっと、あなたが欲しい、という、抑えきれなさ。深さは、その、我慢のなさを、伝える。
もう一つが、明け渡しだ。舌は、やわらかく、無防備な場所だ。そこを、相手に開く、というのは、自分のガードを、一枚、下ろす、ということでもある。だから、ディープキスは、欲求が高まると同時に、二人が、同時に、身構えを解いている瞬間でもある。ただの好意以上に感じる、というあの感覚の正体は、これだ。欲しい、という気持ちの高まりと、守りを解く、という信頼が、両方から、同時に、差し出されている。だから、深いキスは、言葉より雄弁に、あなたを求めていて、かつ、あなたを信じている、と伝えることになる。
突然のキスは、実は、あまりうまくない
ここで、甘い体験談が、うっとり描くところに、少しだけ、水を差しておきたい。突然、舌が入ってきて、驚いた、というのは、ロマンチックな見せ場のように語られる。でも、正直に言えば、その、突然、は、あまり、うまいやり方ではない。
たまたま、相手が、同じ気分だったから、うれしい驚きに、なっただけだ。もし、相手が、まだそこまでの気分でなかったら、その突然は、ただ、面食らわせて、興ざめさせる。実際、強引なキスが、逆効果になる、というのは、よく言われることだ。本当に、キスがうまい人、相手を大事にできる人は、大胆に、不意打ちをする人、ではない。今、相手が、その気になっているか、を、ちゃんと感じ取ってから、深くなる人だ。見せ場のような大胆さより、相手の呼吸を読む、地味な注意深さのほうが、ずっと、いいキスを、作る。
舌を入れるキスは、愛の温度計ではない
もう一つ、思い込みを、外しておきたい。舌を入れるキスは、深い愛情の表れ、とよく言われる。それは、間違いではない。でも、それを、愛の深さを測る、温度計のように、扱うのは、ちがう。
ディープキスは、親密さを表す、たくさんある方法の、一つにすぎない。深いキスが、あまり得意でない人も、いる。それは、その人の愛情が、薄いからではない。ただ、好みや、心地よさが、違うだけだ。相手が、深いキスに、あまり乗ってこないからといって、自分は愛されていない、と思う必要はないし、逆に、自分が、深いキスをそれほど好まないからといって、情熱が足りない、と責める必要もない。舌の絡ませ方を、二人の愛の証明書に、してしまわないこと。愛情の深さは、キスの深さでは、測れない。
