お姫様抱っこして、とお願いされて、彼が意を決して抱き上げる。数歩進んだところで、腕がぷるぷる震えだす。バランスを崩しかける。ごめん、無理かも、と慌てて下ろす。あるいは、腰にぴきっと走って、その場でうずくまる。短い沈黙のあと、二人とも、ちょっと気まずい笑みを浮かべる。
お姫様抱っこは、愛ではなく物語の再現だ
少し冷めた言い方になるけれど、お姫様抱っこという仕草には、ひとつの物語がくっついている。たくましい王子様が、軽やかなお姫様を、ふわりと抱き上げる。その絵を、現実でなぞろうとしているわけだ。
だから、これは愛情表現というより、ある場面の再現に近い。映画やドラマで何度も見たあのワンシーンを、自分たちで演じてみたい、という願いだ。それ自体はかわいいことだし、悪いことでもない。ただ、覚えておきたいのは、これがあくまで舞台の小道具だということだ。小道具がうまく使えなかったからといって、二人の物語そのものが失敗するわけではない。失敗したのは、たった一つのポーズだ。
この仕草がちょっと残酷なのは、二人を一度に試すからだ
お姫様抱っこには、地味に意地悪なところがある。ひとつの動作で、二人を同時に値踏みしてしまうのだ。
男は、男失格だと受け取る
抱き上げられなかった男性は、たいてい、自分を責める。男として情けない、守ってあげられない、と。デスクワーク中心で体力に自信がなかった人が、数歩で腰をやられて、ひどく落ち込む。意外と重くて下ろしてしまった人が、ショックを受ける。腕力の不足を、男としての不足に翻訳してしまう。
女性は、重い、女らしくないと受け取る
同じ瞬間、抱き上げられなかった女性のほうも、別の自分責めを始めていることが多い。私、重いよね。女らしくないのかな、と。彼が悪いわけでもないのに、自分の体のせいだと感じて、しゅんとしてしまう。
でも、ここははっきりさせておきたい。持ち上がらなかったのは、てこの原理と、相手の鍛えていない腕の問題であって、あなたの体が何かとして多すぎる、という話ではまったくない。まして、女性としての価値が目減りした、なんてことは一切ない。失敗した一回の抱っこを、自分の体を責める材料にするのは、学ぶべき教訓をまるごと取り違えている。あなたの魅力は、抱え上げられるかどうかで、測られるものではない。
持ち上がるかどうかは、あなたの値打ちと関係ない
二人の自分責めには、共通の間違いがある。瞬間的な腕力や、その日の体の重さという、ごく狭い物差しに、自分の価値の全部を載せてしまっていることだ。
男らしさは、何を持ち上げられるかで決まらない。そもそも、相手が自分を好きでいるために、サーカスの怪力みたいな力を要求してくるとしたら、それは関係ではなく、見世物を求められているのに近い。逆もそうで、女性の愛され方が、軽くて抱きやすいことに懸かっているなんて話は、どこにもない。お姫様抱っこができないこと一つに、自分の値打ちまで採点させる必要はない。
羨ましいあの写真は、一秒の見栄えでしかない
ネットで、友達の恋人がお姫様抱っこをしている写真が流れてくる。幸せそうで、羨ましくなって、つい自分の相手にもお願いしたくなる。気持ちは分かる。でも、あの写真には、からくりがある。
あれは、カメラのために、一秒だけ持ちこたえて撮った一枚だ。シャッターが切れた次の瞬間には、たぶん下ろしている。あなたが見ているのは、決めポーズであって、その二人の関係の中身ではない。自分たちの毎日の暮らしを、他人の編集された一瞬と比べて落ち込むのは、勝てるはずのない勝負を、わざわざ仕掛けているようなものだ。見栄えのいいロマンスに惑わされて、手元にある誠実さを見落とすのは、もったいない。
できない男のほうが、優しさが見えるという逆説
おもしろいことに、お姫様抱っこができない相手のほうが、愛情がよく見える、という話は多い。
力任せの選択肢が最初から消えているぶん、ほかのやり方で大事にしようとする工夫が、くっきり浮かび上がるからだ。抱っこは無理でも、おんぶならできるよ、肩車もあるよ、と笑って差し出す。抱き上げられなくても、ずっと一緒にいたい、と抱きしめる。毎日家事を分担している君がいちばん素敵だ、と言葉にする。派手な一発がない代わりに、こういう小さな優しさが積み重なって、関係の土台になっていく。お姫様抱っこできなくても、誠実で愛情の深い人は、いくらでもいる。
じゃあ、できないとき、どうするか
まず、無理に持ち上げて、腰を壊さないことだ。意地で数歩歩いて整体通いになるのは、ロマンスでも何でもない。できないものはできない、と認めて、別の形の甘やかしに切り替えるほうが、ずっと健やかだ。
そして、できれば、その場で一緒に笑ってしまうこと。重い、落ちそう、と慌てる彼に、君が可愛すぎて力が入らないんだよ、と冗談で返す。私重いよね、ごめん、と笑い合う。新婚旅行先で抱き上げに失敗した夫婦が、それを何年も家族の笑い話にしている、という話がある。失敗を、気まずさのまま終わらせるか、二人のネタに変えるか。その差が、けっこう大きい。できない一回を、どちらかを責める時間にしないことだ。
それでも、ほんの少し寂しいなら
きれいごとだけで終わらせるつもりはない。憧れていた仕草が叶わないと、ほんの少し、寂しい。その気持ちまで、否定しなくていい。ロマンチックな夢が、ちょっとしぼんだ感じは、確かにある。
それに、お姫様抱っこは、たぶんこの先もずっと、得意にはならないかもしれない。年を重ねれば体力は落ちるし、子供が生まれれば生活も変わる。昔はできたのに、と感じる日も来る。でも、その小さな寂しさが指しているのは、あなたの値打ちでも、二人の愛の量でもない。ただ、ひとつのポーズが、うまく決まらない。それだけのことだ。抱き上げられなかった腕は、たいてい、別のところで、ちゃんとあなたを支えている。
